当ブログをご覧いただきありがとうございます。
月収2万パート主婦出身
現在はフリーランスで在宅ワークをしているあやこです。
ブログのタイトルにもあるように
私は年内にどうしても達成したい目標があります。
それは…
1年後には在宅ワークのみで
会社員夫の収入を超える
(しかも、サクッと軽やかに)←ここ大事
現在は、フリーランスという働き方のおかげで
時には、平日のおしゃれなカフェでPCパチパチしたり
働きたい時間を自分の思い通りにできたり
理想的な働き方ができていますが…
ここに辿り着くまで
夢や希望を描きながも、長く険しい道のりがありました。(涙)
これまでの経験一つでもかけていたら、今ここに辿り着けていないと思います。
そんな紆余曲折。
私の長い長い人生の道のりを
まずはお話しさせていただきます。
基本情報
名前:あやこ
生年月日:1979年7月13日
家族:夫(会社員、4歳年下)、長女(2011年生まれ)、次女(2015年生まれ)
職業:個人事業主(フリーランス)
お仕事内容:個人事業、企業様向けインスタ運用サポート、Webスキルスクールのサポート
趣味:登山、ヨガ、読書(村上春樹、児童書好き)
好きな食べ物:和菓子(あんこ好き)、白米、味噌汁
好きなアーティスト:Mr.Children、藤井風
好きなこと:寝ること 目に見えない世界 乗り物に乗ってる時間 カフェ1人時間
苦手なこと:集団行動 規則正しい生活 継続 計画的 人に相談する 感情コントロール
得意なこと:直感でその人にしかない”良さ”が見抜ける、苦手は”人生の課題”と捉えられること
誕生〜10代 学生時代「陽キャに憧れる陰キャ生真面目長女」
東京の下町に第一子長女として生まれます。
実家の1階は、小さな町工場で(下町ロケット的な)
朝から晩まで機械の音が聞こえていて
朝から晩まで働く父と、マイペースに過ごす母に育てられました。
厳しく躾けられた記憶もなく、よくいえば、伸び伸びと、自由奔放に。
悪くいえば、野放し状態で、育てられたのにもかかわらず
生まれもった性質なのか、長女だからなのか。
大人しくて、真面目で、周囲の目を極端に気にするようなタイプで
保育園の頃は、煩わしい人間関係を断ち切って
一人教室で粘土を嗜むような子供でした…笑
そんな生粋の陰キャ体質の私は
学生時代のスクールカーストでは、いつも「中の下」といったポジション。
90年代に青春時代を過ごした私は
「アムラー」と呼ばれるコギャル(死語すぎて書いてて恥ずかしい…)たちを見ては
劣等感を感じるようなタイプでした。
アムラーに対抗した
「シノラー」(篠原ともえという個性的なキャラクター)という一派もあったのですが
どちらかといえば、こちら側。
とはいえ、飛び抜けて個性的になりきれない。なんとも中途半端な青春時代。
(もちろん彼氏もできない…涙)
成績優秀は優等生ほどでもない。
魅力的なビジュアルでもない。
特技や運動など努力した成し遂げた経験もない。
「何者でもない自分」に常に劣等感感じて、自己肯定感低めの青春時代
を過ごしてきました。
しかし!この卑屈な私とは
大学時代にひとまず決別を迎えます。
いわゆる「大学デビュー」というやつです。
陰キャだった自分に別れをつげ
バイトでお金を稼ぎ、洋服やメイクなど、
見た目から「陽キャ」になろうと必死にキャラ変を企てます。
しかし…。どんなに見た目を変えても
似合わない。引き合う友達も合わない人ばかり…。
無理してイキっている自分に嫌気がさしてきました。
(ついでに彼氏もできない)
色々とめんどくさくなった結果
とにかく目の前のことを
がんむしゃらに頑張ってみることにしました。
大学の勉強、サークルの活動、バイト…
それら活動の中で
・できないことが、できるようになった
・後輩ができて、自分に懐いてくれた
・バイトでお客様や働く仲間に感謝された
20歳になって、ようやく気づいたのです。
「何者」にならなくても、
目の前のことを全力でやることに価値があるのかもしれない
そして、この信念を確かめるべく
大学卒業後の会社員時代に突入していきます。
20代会社員時代「ブラック企業のポンコツ社員」
当時、就職氷河期で、人気の会社は軒並み採用を縮小しているような時代。
とはいえ、業種を選ばなければ、大量採用している企業はありました。
さっさと就活終えて、遊びたかった私は
某大手飲食チェーンに就職することになりました。
はい。予想通りの。
ブラック企業!笑
初配属の店舗は、東京のターミナル駅近くの店舗で
1日の客数が何千人という規模のお店。
業務は店舗の売上管理、在庫管理、アルバイトさんの人材育成と
多岐に渡ります。
ガッツだけは人一倍ありましたが、
残念ながら、要領も悪い、覚えも悪い、何度もミスを繰り返す〜
ある日、お休みの日に先輩社員から
「おいっ!お前発注すっ飛ばしただろ!今日1日分の原材料ないけど、どうすんだ!」
と電話で呼び出されるなんてのは、常習。
毎日先輩やバイトリーダー的存在の方に怒られながら
それでも、辞めずにがむしゃらにやれたのは
私には特別な能力はないけど
目の前のことに真剣に取り組んでいたら
いつか誰かのお役に立てるはず!
と、自分の価値を信じ切って、とにかくやり抜くことだけに
集中できたから、だと思っています。(それと、もちろん若さも大事な要素)
こんなポンコツ社員だった私ですが
入社4年目の時に
全社員が憧れる「社員研修トレーナー」に着任させていただきました。
努力は必ず報われる。(どこかで聞いたことある笑)
20代の泥臭く頑張ったこの経験が
「何者」にならなくても、
目の前のことを全力でやることに価値があるのかもしれない
という信念をさらに強くしていきました。
30代専業主婦時代「キャリアコンプレックスからの起業」
20代は死に物狂いで会社に魂を売って
全ての時間と労力を労働に費やしていた私は
30代も引き続き同じような働き方をすることは
不可能だな、と早い段階でキャリアチェンジを考えていました。
そんな時に、頭によぎるのは
自分の母親の姿。
そう。彼女は、専業主婦で
自由気ままに、過ごしている姿。
無意識にそこを目指している自分がいました。
ちょうど30歳になる頃、今の主人と出会い
出会った翌年に結婚。
1ミリの迷いなく「寿退社」を選び
晴れて、あこがあれの専業主婦に
なることができました。
二人の子供に恵まれ
何不自由なく過ごせていると思いきや…
「なんか違う」
異変を感じ出したのは、一人目の子を遊ばせに連れて行っていた
コミュニティ施設での出来事。
0歳児で仲良くしたママ友たちは、
早々に育休を終え、社会復帰をしていく姿。
私はというと…
子供を公園で遊ばせて、お風呂入れて、ご飯食べさせて…
ただ過ぎていく「毎日」の繰り返し。
日に日に募るのは
「このままではまずいんじゃないか」
という漠然の焦りと劣等感。
会社員の夫収入のみで生活はできているけど
教育資金や老後の蓄えは全くできておらず…
やる気とガッツだけで働いていた私には
特別な資格や、特技はなく
そんな私が、社会復帰する方法ってあるのか?
キャリアを安易な理由で手放してしまった
末路…。
そんな、焦る私の脳内によぎるのは
朝から晩まで
自宅の工場で毎日汗水垂らして働く
父の姿。
父は仕事を心から楽しみ
「生きがい」にしながら
働いている姿を見せてくれていました。
そして
20代の頃、死に物狂いで働いた
自分の姿もよぎります。
店舗での集客や売上の立て方を経験し
目標達成の喜びやお客様からの「ありがとう」が
「生きがい」になっていたのです。
「そうか!
在宅で働ける「個人事業」で稼げるようになればいいんだ!」
と、起業に至ったわけです。
起業を志し始めたのが
ヒカキンなどの「YouTuber」や
インスタなど「インフルエンサー」という言葉が流行り始めた
2015年ごろ。
「好きを仕事に」という言葉が出てきた頃。
この言葉に踊らされた私は
当時産後間も無くでハマった「ヨガ」を事業にしていくことを決意。
ハマった、と言っても、YouTubeで動画見ながらやる程度のレベル感で
ヨガ講師を目指し始めてしまいます。
これまでの人生で培った
「何者」にならなくても、
目の前のことを全力でやることに価値があるのかもしれない
すごいポーズができるヨガ講師にならなくても
3頭身の私にも!笑
きっと、私にしかできないヨガの伝え方ができるに違いない!
と、スクールに通い、なんとか、資格取得したものの…
ここからが、苦難の連続…
40代個人事業時代① 「ヨガ起業からのコロナ禍で月収2万パート主婦へ」
夫が転職リミットになる35歳の年。
ちょうど長女小1次女年少のタイミングとも重なった
2018年に結婚当初から予定していた
夫の生まれ育った広島に移住しました。
生活も整い、2019年に開業届けを提出し
晴れて事業主として活動をスタートさせました。
が!!
「ヨガしたい〜」と言う人、どこにいるの〜!!!(泣)
近所を日中歩いていても、
誰も歩いていない…
幼稚園のママ友たちに声をかけても
・日中はパートに出ている
・ヨガなって恥ずかしくてできない
・ヨガにお金かけたくない
と完全にスルー。
「私の好き」が「みんなの好き」とは限らないんだー
と、これまでヨガを学び続けた3年の月日が走馬灯のように
頭を駆け巡りました。
とはいえ、会社員時代に磨いた「へこたれへん」根性で
地道に発信活動やチラシでの告知を繰り返し
なんとか、週1回のレッスンに6名集まるようになってきました。
しかし、ここが、個人事業の難しいところ
それが「単価上げられない問題」
まだヨガに自信の持てない私は「1レッスン1000円」でやっていたので
1回あたり6000円の売上。
そこから場所代1000円と、資格取得費用にかかったお金をひいたら…
利益ゼロ。
それでも、ヨガを伝えることでたくさんのママたちに癒しの空間を提供できたことは
「やりがい」を感じられる経験となりました。
ここから、どう事業展開をして、売上を上げていこうか、悩ましく思っていた頃
事業2年目にして、あの未曾有の事態がやってきました。
コロナ禍突入です。
近所の集会所を借りていたヨガレッスンも、開催の目処が立たず。
オンラインでのヨガレッスンを試みるもお問い合わせこず。
ヨガでの収益化はかなり難しい状況になっていました。
ヨガスクールにかかった費用だけ残り。売上も上げられない状態。
すぐに事業で収入を見込めないので、泣く泣くパート勤めすることに。
事業のことも諦めたくないので、
土日のどちらか週に1回8時間飲食店でバイトをはじめました。
その時の月収は2万円…。
ヨガスクールでの学びはそんな簡単なものではなく、辛い思いもしながら
必死な思いで資格取得しました。
そして、新天地で、土地勘もない、人脈のないところで
必死に集客しても、利益ゼロの事業。
こんなに必死こいて色々やっているのに、
何も実にならず、家族にもたくさん迷惑かけていて
私はこのヨガの学びからの4年間何をやっていたんだろうと
涙を流す日々。
一生懸命に働く父の姿や
20代の頃の過去の栄光とも思える自分の経歴
全てが無効化するような感覚に虚しさで
「自分になんか価値はない」
と社会から淘汰されていると感じる日々を過ごしました。
40代個人事業時代②「Webスキルで収益化の可能性」
しかーーーーーし!!
ここでも、私!へこたれません!諦めません!
実は、ヨガ講師時代に
・チラシ作って!
・LP作って!
・ホームページ作って!
とパソコン苦手なヨガスクール仲間から依頼を受けて
安い価格ですが、依頼を受けて、独学ですが実績をコツコツ
積み上げていました。
「これだ」
当時、コロナ禍に入り「在宅ワーク」が脚光を浴びていて
ブログやアフィリエイト、Webデザインなどでの働き方の情報を
多く見かけるようになり、独学で実践していきました。
知り合いの個人事業主さんや、
クラウドワークスやココナラなどのクラウドソーシングサービスを使って
少しずつ案件をこなしてい収益化していきました。
そこから、3年経った今。
時間はかかりましたが、
「自分の好き」を仕事に、ではなく
「自分のできる」で「お困りごとの解決」をお仕事にした結果
ヨガで起業した当初目標にしていた
「会社員夫の扶養内で働ける金額」の上限に到達することができるようになりました。
さいごに
さて、ここからは未来の話。
起業5年目!2024年の目標は
ブログタイトルでもある通り
「会社員夫の収入超え!」です。
ここまでの道のりは
崖みたいな道だったり、迷い道くねくね状態の中
ひたすら前に突き進んできましたが
ようやく!
収益化までの正規ルートの地図
を手に入れることができました!(感涙)
その「地図」と言うのが
ブログのタイトルにもある通り
Webマーケティングスキル
なんです。
このブログでは
ようやく手に入れたWebマーケティングスキルを学び実践することで
どのようにこの人生が変わっていくのか
実況中継さながら
赤裸々に状況をお伝えしていきたいと思っています!
ここに辿り着くまで、
たくさんの紆余曲折ありましたが
このブログに辿り着いたあなたは
私のような遠回りはせず
これからこちらのブログでお伝えすることを実践していただければ
最短で1年で!在宅ワークで会社員の平均月収越えも
夢じゃないです!!
気合い根性だけの
この才能もない、不器用すぎるこの私にもできた!
と言う内容をこちらのブログでお伝えしていきますので
ぜひ、楽しんで読んでいただけたらと思います♪
最後までお読みくださった皆様
本当にありがとうございました!